今朝、出勤する時のことだ。
社員駐車場から会社までひとつ交差点を経るのだが、その交差点の角に花束と缶ジュースがあった。
昨日はなかったので昨日か今朝置かれたもので花達もまだ活き活きとした色でアスファルトの無機質と対峙しているようだった。
察しはつく。誰かここで亡くなったのだろう数年前の昨日か今日。
あっけなく終わる命。その方はその日その場所で、亡くなると思ってなかったはず。こんな形で終わっていいのか。よくないだろう。明日は大震災があった3/11。震災に巻き込まれた方もそんな人生の結末を予期した者はいない。若いや年寄りかは関係ない。
その刹那で人生は終わる。
テレビの向こうからの悲劇に涙しながら実は「自分じゃなくてよかった」と思ってるんじゃないか?同情か?共感か?
神様がいたら胸ぐらつかんで
「どうなってんだ!お前が仕組んだのか!」
と言うのだろうか?不謹慎な事を、言いたいわけじゃないがあまりにもあっけなく儚い。
この感情に名前などない。
ありふれた日常。かわらぬ毎日。取り巻く人々。友人との約束。週末の予定。毎年の行事。子供の成長。将来の夢。後悔の念。
それが終わるのは目を閉じた時だ。