以前の話で首から上の頭はなくてビデオ機でこの世を観ているなんてことを書いた。
これをもっと掘り下げるとビデオ機に録画された映像を後になって俯瞰している。になる。
眼球から入った映像が脳に入り処理され理解され映像として認識する。
つまりリアルタイムからわずかに遅い過去を観ている。になる。
真のリアルタイムは存在しない。
あるのは過去つまり結果。
結果の起こりを観ているに過ぎない。
私はこの首から上の過去を広いリビングのソファーに座りながら俯瞰する神だ。
しかし神といえども口出しはできない。未来は変えられない。このビデオ機な中の再生できうる最後までをただ眺めることしかできない。
その映像から受け取れるその当時の悲しみや怒り、喜び、を映像を通じて感じるだけでそこにそれ以上はない。他人事に感情を少し移入しただけでそれだけだ。
未来は変えられない。ただ神にこの映像をみせるためだけに私は動けばいい。神が退屈しないように努める。
面倒事が発生!ピンチ!
唯一の視聴者である神はさぞかし興奮してこの局面をどうするかワクワクしてるはずた。
今日も神を驚かせてやる。