意思決定のゴミ箱モデル

ガービッジカンモデルの備忘録答えはすでにある。

おかあさん

今週のお題「おかあさん」

母は厳しい方だった。
私は母に「ババァ」とかそのたぐいの言葉を言ったことがない。今までずっとそうだった。

小学生の頃、下校時にクラスの女子をからかっていたところを母に発見されてケツが腫れるほど打たれたものだ。このケツ叩きの刑は私が道義的に逸れたことをした時にたびたび執行され最終は泣きじゃくったものだったがそのたびに母も泣いていた記憶がある。

母は、よく働く人間だ。家は自営業だったので母も働いていた。
夕方私が下校するとくたびれた様子で、洗濯物をたたむ姿が印象的で、その姿をみるのがなぜか嫌だった。すごく不幸にみえたからだと思う。

うちは祝う習慣がなく誕生日もそんな祝ってもらった記憶がない(おかんあったらごめん)。
私は先天的に持病があって産まれたのでそれを治療して生かしてくれた両親に感謝しなくてはならないと思っていたので祝うどころか感謝する日だと思っていた。

母ほどの人材がこの世に埋もれるのはもったいないとも思っていた。仕事はできるし費の打ち所がない方でそこには尊敬しかない。
その母も歳を取って今では私のケツを叩くことはなくなった。休職した時も母に打ち明けたら怒られるだろうと思って本心怖かったがあっさりやめたらと言われて内心ホッとした。

私の体調を案じてくれていた。今でも。

母はもうすこししたら父を置いて家を出ると言っていた。本気だと思う。色々できなかったことを取り戻すためだろうがなにをどこでするのか正直楽しみでいる(父には気の毒だが)。

彼女のような人間が世間にでれば一定のなにかしらの効果が期待できる気がする。

母の日にはいつも彼女の好きなケーキを仕事帰りの深夜、実家の冷蔵庫に入れておくのだ。今年もそうするよ。