意思決定のゴミ箱モデル

ガービッジカンモデルの備忘録答えはすでにある。

僕対amazarashi

昨日、ZeppNAGOYAにてamazarashiのライブがあり行って参りました。
去年、行った時と自身の心情が変わっていた事に驚いていますがその話はまた後日。

終始たのしく鑑賞できました。
内容はいつもより前向きで知人を送り出すかのようなライブでした。

知っている方もみえるかと思いますがこのamazarashiのライブはスクリーン一枚越しにバンドがおりまして
そのスクリーンに楽曲に合わせた映像を出しながら行う形式です。

amazarashiのボーカル秋田氏は基本メディアにも顔を出すことはありませんしライブでもトレードマークの帽子を被り顔に影を作り
みることはできません。
しかし、昨日のライブは違いました。
もちろん帽子は被っているのですが、照明の兼ね合いで顔が照らし出されることが多かったと思います。
私は、3回しかライブには行っていませんがこんなに鮮明だったのは初めてです。Zepp自体そんなに広くないライブ会場なので一番前方に
行けばお顔をみることは以前からできたのかもしれません(私は常に後方の場所で観てました)。
なんとなくなんですが「空に歌えば」のPVの時から薄々、少し顔出ししてる!と思っていました。

ここからは個人の意見ですのでご容赦ください。

私はこの顔出しNGであるスタンスにこのバンド意義を感じていました(楽曲は当然好きです)。なぜなら帽子で影のある顔で歌を歌うのは
自分自身を投影していたからです。会場でスクリーンを隔てたあちらには私の創造する私がいてその気持ちを声にしていると思っていたからです。
ですから、身を乗り出し秋田氏のその声の出ている先を注視し、自分であることを確信しながら鑑賞していました。見えない顔を見たい願望みたいな
もの本当の自分を怖いもの見たさで見るような感覚でした。
彼には目が有ってはダメなのです。
彼には鼻があってはダメなのです。

消すなそいつは僕の魂いだ(ワンルーム叙事詩より)

スクリーンの向こうの世界
こっちに来てはダメ
こっちから向こうには行けない
顔は知らない
知ると現実になってしまう

確かにあなたに救われたがあなたは私に昨日、もう自分で歩めと言ったように感じた。

もうその時になったのかな。まだ早い気がする。これからはあなたに依存することなく
歩んでいきたいがたまには依存してもいいかな。
その先のことは僕が決める。
悲しみ一つも残さないようにしたい。