意思決定のゴミ箱モデル

ガービッジカンモデルの備忘録答えはすでにある。

いずれ分かる事その逆も。

いずれ分かる事に遭遇した。

福井にある恐竜博物館に昨日行ったのだが当然大きな
恐竜たちが骨となって展示してあった(骨だけじゃないけどね)。
動く恐竜もあり迫力ありました(色は想像で作成したとのこと)。
2億5千万年前に誕生し6500万年前まで生きてたらしいです。こんなでかいのが。
人間は約300万年前から今にいたるので相当昔のできごとですね。

まぁそんな話は聞いてきたのですが私は化石をみながらふとくだらない事を考えました。

「わざといずれ誰かに発見してもらえるように意図的に骨が何年も残るように骨を設計していたの
ではないだろうか。」

と。さらに

「わざとこれらが発見されたとしたら、逆に意図的に発見できないようにした何かがあったのではないだろうか。」

意図的に発見できない何かとは想像できないが忘れられる事があれば忘れられない事もある。ということ。
学術的な見解とかそういう事じゃないが考え方としてそう思いました。

日常生活で発見する(できる)事柄と自分の知らない所で影響を受けながらも発見しない(できない)事柄がありその量は発見できる事柄
より膨大で深い。
私は五感にばかり気を取られていて知らされないうちに時代に流されているのだろう。
恐竜色や諸々がそうであったように私に起こった「病気」は後世(誰も興味ある方はいないから観ないだろうけど)書類として観ることはできるが
その時の想いやそうなった環境まで探るのは書面からでは無理だろう。

恐竜の時代とは異なり現代はさまざまなツールがあるので伝えられない想いをいくらか形にできる。しかし
隠さなければならなかった意図はなんだったのだろう(恐竜側は隠してねぇーよって思ってるか分からないけど)。
こうして生きているがなにかこの世から隠されている事実はあるのかな。世界規模じゃなくて個人規模で例えば社内の人事査定や
評価。知らないだけで知っている者達が操作し色々決めている。社内だけじゃなくて地域で学校で家庭で。

どうどう巡りの戯言を帰りの家族が眠る車内で考え運転してました。