意思決定のゴミ箱モデル

ガービッジカンモデルの備忘録答えはすでにある。

私がもし病気になったら

ガン保険のCMで

「まさか自分が」や

「余命1年」や

「家族のためにも生きねば」とか

言ってた。

 

私がその立場になったら一生懸命に

生きることができるだろうか。

やっとあっちの方から迎えが来たと思う

のだろうか。

 

もちろん自殺願望がすごくあるわけでは

ないが…。

今ある色々な苦痛から自動的に

解放されると考えないのだろうか。

当事者の方には不謹慎だがそう思ってしまった。

つまり私は生きるに値しないのだろう。

しかし、生かされている。

 

余命1年で死ぬ人

余命1年から生還する人

うつで生きてる人

うつで死んだ人

過労で死ぬ人

生活保護で生きてる人

楽してて死ぬ人

世の中なめきってる人

歩道歩いてるだけで死ぬ人

育児放棄で死ぬ子

事件に巻き込まれて死ぬ人

自殺する人

生きていたいのに死ぬ人

生かされて死ぬ人

どうでもいい人

貧乏が原因での事件

裕福が原因での事件

生まれが裕福な人

生まれが貧乏な人

転職で成功する人

転職で失敗する人

些細な事に幸せを感じる人

些細な事でくよくよする人

あることないこと。色々。

日々繰り返される事象。

 

全ての事象は私の人生の教科書なのか。

夢の中では夢と認識できない事のようだ。