意思決定のゴミ箱モデル

ガービッジカンモデルの備忘録答えはすでにある。

死生観

桜が満開を迎えています。

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昨晩は風が強かったこともあり花びらが地面に落ちて風で舞っていました。満開かと思ったらすぐに散ってしまう。桜の木はそれで死ぬわけではないがその潔さから昔から

散る=死

みたいに捉えています。

 

咲いた花なら散るのは覚悟、、、。

 

そんなで死生観を考えてしまいました。

とりあえず生きていてこれからも生きていくことになるでしょう。

人生において死にたいと思うほどの出来事に遭遇することもありますし、生きたいと思える程の良い出来事もあります。

死にたい程の辛い出来事の時結局は死せずに生きて、そのまま死にたい願望が残っている方もいると思います。

 

「自殺」したい人は死ぬ恐怖にうち勝つ事ができず生きているのでしょうか。

 

少なからず人なら人生の中で死にたいもしくはそれに近い感情をもったことがある人は大勢だと思いますが死にたいからと言って本当に死ぬ方は稀だと思います。

 

本当に縄を首にかけギリギリ所で生きる判断をした方は生きることをどう捉えているのだろうか。両手を上げ生きることはすばらしいと叫ぶのだろうか。

 

生きているのは現在進行形で

は完全な停止なのでしょうか。それは分かりません。

生きたくもなければ死にもしない私みたいなもんはどうなのでしょうか。

 

生きる価値があるのは後付けの理由なんだろうか。

 

家族もいるので責任がある立場ですが、そんな事をつい考えてお花見してしまっています。儚いものだから魅入ってしまうのかな。

 

桜にはいい迷惑な考え方ですね。

 

それにしても綺麗です。