意思決定のゴミ箱モデル

ガービッジカンモデルの備忘録答えはすでにある。

怒りは必要なのか。

怒りは必要なのだろうか。

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色々と人間関係の本を読んでいると

「怒るのではなく褒めよ」

「感情にまかせて叱責しても意味はない」

 

などと書いてある。

 

私の会社でも上司は

「やってこい!なんでできん!やるんじゃなくてやらせろ!!」

と叱責を良くしており、それを受けた営業マン達は恐怖を覚え仕事に取り組んでいる。すべては恐怖から逃れたいためで時には自爆(自分で商品を買う)でその恐怖から逃れるのだ。

恐怖より自爆した方が精神的に楽だからだ。

 

そんな否定される感情の「怒り」だが否定されるのになぜ感情に「怒り」があるのだろうと考えてしまった。怒りをうまくコントロールし…って書いてあるが「怒り」させなければこんな問題すらないのだから。

 

喜怒哀楽の表情が人間らしさを作るなら「怒」はどう他人に表現していいのだろうか。

怒っては指揮が下がるし恐怖で縛ってもその時だけの物なのに、怒らない人も珍しいです。

事人間関係において、怒りは否定されるがみんな怒らずみんなニコニコしていたらちょっと気味が悪い事務所になるだろうな。

 

喜怒哀楽の「怒」だけ奪うわけにはいかないのでとりあえず怒りながらニコニコしたらいいのかなぁー。

なんて本を読んで思いました。