意思決定のゴミ箱モデル

ガービッジカンモデルの備忘録答えはすでにある。

現場に出ました。

現場に久々に出ました。

まぁ慣れたとこだったので休んでいたのが嘘のようなテンションで仕事できました。

ベストな選択ではなかったがベターな選択となりました。仲間に迷惑をかけましたので取り戻すべくやりたいと思います。

 

さて家では子供達が明日遊びに行く準備をしてまして明日は雨なので照る照る坊主を作ってました。

 

首を吊って命に代えて晴天を呼ぶ

 

って私は思ってましたが子供にそんなこと言えるわけでもなく黙って見守りました。

そんなためか雨の一日でしたが、昼間だけ小康状態になってましたから子供に

 

作ってよかったな

 

と帰って声をかけました。

 

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夢から醒めた。元職に戻る。

本日、本社から連絡があり20日から

元の営業所で休職前と同じ営業の仕事につくことに正式に決まりました。

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休職という夢から醒めて復帰いたします。

 

休職し家事をしブログを初め小旅行にも出かけまして仕事中はできなかった

一切をした貴重な時間となりました。その時間も後わずかとなり、こうして

心境も綴っていますがブログでも書いていた通り営業に戻りたいとか色々、

葛藤しましたので果たしてこの決定が最良なものかは分かりません。その結果を

作るのは今後の自分自身であり、行動次第で、また同じ繰り返しをしてしまうんじゃないかと内心不安でなりません。

先回の会社との面談の結果によるものですが、やはり予想していたと言えば予想通りの

展開になってます。

 

私なりにこの経験を今後するかもしれない方に向けて書いたつもりではありましたが

結果、これは私自身が必要でやっていた事のような気がしてきました。

激務に戻ることになり、家族は心配しております。

今、現在の心境を素直に書きますとこの会社を辞めようかと思っています。

私が心を病んでまで訴えた事が個人の戯言扱いにされ、また病んでしまうかもしれない

前職に戻されている現状、コネで部署移動している連中を何人も見ていますので

所詮、コネでしかないとつくづく実感しました。

無力感です。完敗です。

 

武装放棄は気休めでした。

戦闘配置につきます。

復職何日か目 本社で面談

本日会社との面談。

7日に続き14日。2回目になります。

 

診断書を出した経緯は前回、書きまして、それについての話し合いをしました。

 

会社の産業医

「診断書にあるように営業を含めて復職可能で良いか?と就業時間制限についても良いか?」

と話があり、私は問題ないと答えました。

 

続いて会社の人事の担当を含めた話し合いになりました。本日、会社からは次に行く部署などの提案はなく、私の意向を聞くというスタンスでした。

 

私は

「営業をやることは可能だが、営業を選ぶというのは最終手段です。できたら本社での仕事をしたい。もし私を行かせる場所がないのであればすぐに元いた部署に戻してほしい。現在の部署はやりたくない。」

という内容を申し上げました。結論には1週間程かかるというのでその結果を待つことになりました。

 

ここ最近このことを考えいたためかストレスで体調も悪い状態が続いていますから今夜は家族が帰ってきたら外食に行きたいと思います。

 

意思は話しましたので後は結果を待ちます。

復職何日目だ?忘れた。

明日は本社との再面談の日。

 

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いつも通りやる事なくしていたので天気も良いし散歩に出かけた(ほんとは出歩いてはダメだが)。

 

すると路地でばったり営業時代から同業種で取引のあったA氏に会った。相手は車でわたしは徒歩。

車からわたしの名の声が聞こえて驚いた。少し立ち話をして幹線道路沿いのスタバに行くことになった。

 

A氏は私が休んでいる時に仕事の連絡をしていただいたことがあり、だいたいの事情は知っていたので、身の上をすべて話した。まぁそれだけの事だが私の営業マン時代を知っている方に会うとうれしい。

別れ際、A氏は落ち着いた4月ごろ飯でも行こうと誘ってくれてた。ありがたかった。

昨日のブログで書いた通りまだ隕石は落ちてはこないが、こんなにバッタリ会うことは隕石の落下に近いぐらいの出来事になったと思う。よかった。

 

明日は会社との再面談なので心してかかるとしようか。

復職15日目

昨日、診断書を本社にFAXした。

すると担当者より早速電話がかかってきた。内容は

『営業職も可能とありますが実際の所、大丈夫ですか?』

とのこと。そりゃそうだ。前職である営業職でこのような現在があるから無理もない話だ。
しかし、私は主治医の先生と診断書を作る際に前職である営業の仕事も選べるようにと頼んだので
そのような文言の診断書になっている。
正直私が現在、営業職として耐えれるかどうかは分からない。今の現状が嫌で簡単に逃げれる選択肢として
営業を選ぶのならば近い将来またこんなことになるだろろうし、次はこんな軽傷で済まないはず。

担当者はそのことを配慮するかどうか分からないが自分で結論を来週の水曜(14日)までに出しておくように
と言ってきた。
選択肢としては

・前職と同じ営業職
・全く知らない仕事(選択の余地はなく会社の裁量で選定)

この二択だ。現在全く知らない部署にいて営業に戻った方がマシだと思っているが
そんな心配をするなら営業に戻るを選択するべきだが折角3ヶ月も営業から離れたので違う仕事も興味がないわけではない。
今日いろいろ考えていたが結局、結論にいたらなかった。

その後、昼に会社を後にして中村スポーツセンターに行き筋トレしたが
全く身にならない内容だった。集中力がなく筋力も発揮できない。ベンチプレスにいたっては、
マックス重量の60%しか上がらなくセーフティバーのお世話に幾度となくなりました。
人間はストレスによってこんなにも脆くなるものなんですね。
怪我をするまえに帰りました。

復職14日目 会社の指示での主治医受診

昨日の会社からの指示で主治医の先生のとこに行きました。

 

先生からはどうされました?約3週間ぶりとの話をして本題に入りました。

 

本題

今日、こちらを受診したのは会社からの指示で私が復職2週間を通して現状が我慢ならない状況であり(我慢ならない状況はブログ参照)、それを変えるには再度先生に以前の診断書の内容を変えて出していただく必要があるためと診断書なしには会社も勝手に社員の意向であっても職場の変更や労働強度を変更できないためである。

ここに来るに際し私も先生に思い切って質問してみました。

 

「先生、私は本当にうつ病なんですか?」と

 

ここまできて根本をひっくり返す質問しました。私の会社でうつ病になる方は大半が心身の不調で会社にこなくなったり就業中に過呼吸になったりした後に診断書提出し「うつ」となり療養になるという経緯で、私は会社の年一回のストレスチェックに高い値でひっかかり先生との面談をし療養という経緯の違いがあり自分自身、不調をものすごくきたしていたわけでなかったのでたまたまその時のメンタルの弱さからだと考えていました。

 

先生は

「会社のストレスチェックによってこのようになったとしても潜在的「うつ」を見つけるためのセーフティネットなのでうつが軽微の方もこのような対象になりえる」

との見解でした。

なるほど、さらに続けて

「今更病気をなかったことにする事はできないから、診断書を書き直して状況を変えよう」

とのこと。先生と一緒になり文言を考えた結果

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このようになった。これを会社に提出し今後に備えようと思う。

  

うつ病 私がもらった診断書一覧

私が今回休むきっかけになった診断書とそれからもらっている診断書を一覧にします。

なかなか原本を見ることはないと思いますからこれからそうなりそうな方々に向けて参考になれば幸いです。  

 

 

①②最初にもらった診断書は写メを撮る前に提出してしまいましたので下記は再度1ヶ月延長になったものです。

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③下記は病状回復中のものです。

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④復職可能。これが出ますと会社に行けるようになります。ここで自分が次にする仕事や内容を先生とよく話すといいでしょう。職種を変えたいや、環境などを書面にしてもらいましょう。会社と話す上で書面から漏れていることは基本考慮してもらいずらいですからね。

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⑤下記は復職中に改めて先生に書いてもらった診断書。少し復職してみて更に改良したい所がありましたら、先生に相談しましょう。私の場合は職種の選択肢を増やすことと、就業時間(残業も含めて)の制限を削除しました。その制限を改めて削除しないとそこだけは以前の診断書の事項が考慮されてしまうので面倒ですが訂正したい箇所はすべて文言にしてもらう必要があります。後、病気の経過具合も書いてもらいます。

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今のところこれだけですが増えましたらまた載せますね。

 

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