意思決定のゴミ箱モデル

ガービッジカンモデルの備忘録答えはすでにある。

25日に退職 転職までの経緯

25日に退職した。

 

事務所に作業着と手土産を持っていた。

手土産は妻が用意してくれた。ありがとう。

 

今回の退職は前回と違うので手土産を

持って行く事に抵抗はなかった。

貴重な体験をさせていただき

本当に感謝します。

トラックドライバーという非日常をお金を

もらいながら体験した感覚だ。

(もちろん先方には短期間で退職

して申し訳ない気持ちもあります。)

 

ここにいた先輩達のおかげで転職できた

と言っても過言ではない。

 

転職を考え出したのは12月の頃

まずは転職サイトからweb履歴書と

職務経歴書を作り、有名な会社に片っ端

からエントリーした。

が全部、選考の結果すべてダメ。

私は37歳の中年なので係る経費が若い子達

より割りが悪いのだろう。

 

ここでV社よりオファーがあり

面接だけ受ける事にした。

面接は1月5日予定。

 

そんな中々進まない中、転職サイトより

担当を付けてはどうかとメールがあったので

電話面談の予定を取り付けお願いした。

この手のサイトでは担当者が無理矢理転職先を

決めて企業から金を儲けるスタイルだと勝手に

考えていたので余り乗り気ではなかったが

進まない現状を考えてとりあえず話だけでも

聞いてみることにしたのだ。

 

電話面談当日、男性の小川さんという方から

連絡があり、非常に話やすい方で半信半疑

ながら彼に全て任せるようにした。

それが12月下旬の話。

彼は職務経歴書を例に従って年末年始休み中に

書き直すように言ったのでその通りにした。

 

年が明けていよいよ小川さんと二人三脚での

転職活動開始である。

 

V社との面接をし、1次選考通過の知らせが

来たのが1月中旬、最終面接は本社で

1月下旬。

 

その間も小川さんがピックアップした企業への

エントリーを毎週数社していたがダメだった。

V社の最終面接が終わり1月末には内定の

通知があった。

 

内定に当たり私は返答まで時間が欲しいと

言った。それは小川さんから紹介されてる

企業から書類通過の連絡がまだない企業が

あったからだ。

 

V社は私にそれなりの給与と地位を与える

と話し、それは内定通知書にも記載が

あったのでよっぽど私がほしいのかなと

印象を、受けた。

何十社受けて書類すら通らない私に

こんな、いい条件を出していただき心が

ユラユラしていた。

 

1月下旬にやっと書類通過した企業が2社現れた。

M社とC社だ。

それぞれに面接の段取りを付けて面接したのが

2月上旬。

 

そんな中、小川さんから良い求人があり

ぜひ話して欲しいと言われた。それがN社。

N社とは小川さんが既に話しをしており

私の経歴を推していただき書類は通過して

いたので後は面接を受けるだけだった。

 

通常N社は2、3次面接があるらしいがコロナ禍

で社長以下、権限のある方がすべて1次面接に

参加されると言う事で、小川さんは恐らく

1次面接が最終面接になるだろうと言った。

 

偉い方が参加されるので先方から面接日の指定

があった。それが叶わなければ他の日に面接は

実施しないとのこと。

ちなみに既に1人先客がおり、小川さんは

私に時間を作り、受けるべきだと言った。

 

この企業は自宅から1時間半かかる遠方にある

ので私は小川さんの顔を立てる意味も込めて

エントリーした。

 

面接当日、会場入りし面接と適正検査をして

終わった。

帰りに面接交通費なる3000円いただいた。

面接にはもう1人私より若い方がいた。

この方と椅子取りゲームかと思った。

翌週、結果は私の採用だった。

採用の通知は小川さんの所にあり、小川さん

から内定の連絡を受けた。

内定条件通知書には給与や福利厚生が書いて

あり内容は私の想像の2つ上ぐらいな好条件

だったので、小川さんも驚いた様子で

内定を受諾するべきだと言った。

 

私は妻に夜相談し受諾する意向を小川さんに

翌日伝えた。

 

この間もM社とC社から2次面接の打診が

あったがN社に決まったのですべて辞退した。

 

それで現職のT社を2/25に退社した。

 

N社には3/11より。

 

昨日3/1に朝どれくらいの通勤時間がかかるか

と思い通勤時間にドライブしたらやはり朝は

1時間半よりかかってしまった。

始業は8時半なので7時前には家を出る必要が

ある。

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(仕事が始るまで子供と釣りに行く)