意思決定のゴミ箱モデル

ガービッジカンモデルの備忘録答えはすでにある。

amazarashiとの距離

先日ライブに行ったことは記事にしましたが

そこで受けた印象は去年の「メッセージボトル」のライブと感覚の違うものでした。

 

去年のライブの時、私はamazarashiライブ初体験でした。そもそもライブに行く程熱狂したことはかつてありませんでしたが行きたいと思い行ってきました。

 

バイトでライブの仕事は若い頃に体験してますのですべてが初体験というわけではなかったです。

 

この頃、私は精神的に疲弊してきた感覚を少しづつ自覚してきた頃でした(この8カ月後うつで休職しますが)。

 

ライブが始まっていくつか曲を聴くうちに涙が止めどなく溢れてどうしようもなくなりました。周りをみると私より歳下の男女ばかりで中年の私が泣いてみっともなく感じた程でした。

私の日頃の感情が爆発したのを感じその触覚に触れた歌の数々が胸にささりました。

 

同時に私のやってきたことがどうしようもなく惨めに感じ、なにもかも捨ててしまいたい衝動にかられました。

 

終始ライブはこんな感じで過ぎて行きエンディングになり終わりました。

 

こんな感覚を覚えたのは初めてでそれ以降の仕事にモチベーションを維持するのが難しくなり仕事も雑になりついに休職しました。

いま考えると私はこの頃すでに限界だったようでした。

 

今、現在ですがあの頃号泣した歌を聴いても以前ほど感情が揺さぶらることは少なくなりましたがそれも少し寂しい気がしてます。

もともと泣くことは私はないので泣けて当時はよかったですがそれ程までに疲弊していたのでしょう。

 

amazarashiの曲はどれも本質を見抜いており素晴らしいですがそれらが感情に刺さる場合は心身の悲鳴なのかもしれませんから私なりのバロメーターになっています。

 

今は休んだこともあって比較的に距離を置いて聴くことができていますが、またいつ病気になるとも限りませんからいつも聴いて心の変化に気をつけたいと思います。